歌うなら、心の中のもやもやを伝えることができなければどうにもならないと感じ、無学な男が自分と向き合い内面を表せる言葉を探しはじめました。時にそれは気持ちをなだめることにも役立ちました。まだ外へ向かうなら、発信しなければと思うのです。
10月のおわりおかんが力尽き、85年の人生を終えた。懸命に生きた証を僕の胸に残して。最後の半年、家族にとっての最良な日々が確かにあった。その間、ここに記していた言葉を、僕の歌詞を好く人には読んでもらいたいよ。
立ちあがろうとするおかんを抱える。ずいぶん痩せ細ってしまっているけど、はじめてのことだから重く感じる。命うすれど人生の重み。
苦しむくらいならすぐに...とおかんがぽそりと言った。 思うようにはいかんものそれが人生、せーいっぱい生き抜くしかない。未だ命の尊さも、人生の深みもわかっていない息子が母に言う。40数年ぶりにサザエさんを一緒に観る。記憶遠過ぎて懐かしくもない。厳しい現実やけど、掛け替えのない今だ。
手を握る。指の関節、爪の先まで泣けてくるほどそっくり。なんであんななんでもかんでもムカついてたんだろう。きっと自分にイラついてたんだろうな。...とどのつまり、おとんにもおかんにも似たとこだらけ。ひょっとして俺は結晶だったのかな? ...産んでくれてありがとう。
俺の残りの命をあげたい。一生懸命闘ってる時にしょうもないこと考えてごめんなさい。
朝と晩メールをするようになった。まだ枯れずに小さな朝顔が咲いてるよと送ったら、見たいと返ってきたので撮って送った。その後姉からテレビ電話。見れた?と聞くとうんうんと頷いた。互いにバイバイしたけれど、その夜からのメールは見れていないような気がする。胸の奥が時折そわそわして、悲しい。
テレビ電話での“またね"のバイバイが最後のバイバイになってしまった。二日後近くにいったのに面会制限がありやっぱり会えなかったから、言いたかった言葉を言えなかったよ。いっぱいごめんね。産んでくれてありがとう。
また無になった。生きる僕らにはわかり得ない世界へ。僕もめーいっぱい生きよう。灰になるまでは心の中にいるから、また会えるね。
おかんの体調が大きく崩れ、ねぇーちゃんとこで暮らし始めて10ヶ月。持ってきてた数少ない写真を整理してた。遠い昔の家族の風景。この記憶などない。五十?年後、家族で過ごした僅かな日々は大切な思い出となった。死は生きるものの中にある。忘れぬ限り死はない。
ずいぶん前から病は抱えていたけれど、長生き家計でもありハツラツとした母でありましたから、90くらいは当たり前のように生きるだろうと勝手に思っていました。親不孝してきたからだな。息子を持った喜びを少しも与えてあげられなかった気がする。でも一つだけ。たった一つだけ、アインス再結成でステージに立つ自分を見せたこと。どう映ったかはわからんけど、家を飛び出して以降ずっとバンド続けてたってことは肌で感じてくれたと思う。あの時から、本当にやりたいこと見つけてたんだよと、何十年も経たからこそ伝えることができた。そんな風に思う。
ありがとう。
なんの疑いもなく、人を心の底から愛せる男になります。今からでも遅くない。