一瞬でソールドしてしまい諦めていたレッチリ@城ホールのチケットが、ぴあのリセールで手に入ったからだった。
まる一日合間があったので、万博記念公園へ行った。
万国博覧会開催の年、俺は2歳。乳母車に乗っけられ家族全員で行ったらしい。
それはさすがに覚えていないが、その後小学生の頃は友達と何度も遊びに行った。
懐かしさ半分、大公園へと変貌した中に、今もすっくとそびえる太陽の塔を急に見たくなったのだ。
広場の中に太陽の塔は変わらずに立っていた。
眺め良好、来てよかったと思った。
そしてはじめて中へ侵入した。
開催時はものすごい行列で、小さな子供を連れて入れるような状況ではなかったと言っていた。
閉館後は、何十年もの間入ることは許されていなかった。
よくここまで取り壊されることもなく、改修、再公開の道のりを辿ったものだ。
まだ"爆発"した存在だと言う証か。
中身は、驚きと刺激に満ち、古さをいっさい感じない異空間だった。
ニヤニヤしながら上まで登り切ったところで、ねぇちゃんからの着信に気づいた。
俺は嫌な予感がした。
おとんが昨年末から調子を崩し、食事をいっさい摂れなくなっていたからだ。
おかんがねぇちゃんのいる徳島に行ってからは、おとんもほぼ一緒にいたんだが、そんな最中健康診断の結果~検査の結果が思わしくなく、年齢的にもう施しようがない状態だと告げられていた。
おとん緊急入院、先生から他県からでも親族には面会許可を出しますと。
コロナで、おかんの時は会うことはできなかった...病院のルールも少しは緩くなってきたと言う事でもあったわけだけど。。
一先ずホテルはそのままに、予定前倒しで徳島へ向かった。
おとんはすっかり痩せてしまって、いっぱいの管に繋がれてもどかしそうにしていたが、しっかり話すことはできた。
顔が痩せて俺と似てきた、とわけのわからんことを思った。
でも確かに、痩せて同じ顔になっていた。
他愛のないことを少し話した。
次の日、また面会し大阪へ戻った。
迷ったけど、戻った、ライヴが観たくて。
会場に入り席を探してる時に電話が鳴った。
慌てて出たらおとんからで、大阪いるついでにご近所さんに挨拶にいってくれと言う電話だった。
なんかしっかりしゃべれてるもんだから、いつも通りねぇちゃんとこで待っているような錯覚をした。
察したのだろうか...
ライヴがはじまった。
俺はジョンの歌が好きでソロをめっちゃ聴いていた流れでのレッチリなんだけど、ギターもいい。
弾いてても歌っているし、時に泣いてる。
もろバラードの様な曲はないのにこっちも泣けてくる。
めっちゃのった。
最高のライヴだった。
いろんな感情が沸きあがり、しょげた自分を突き上げてくれた。
俺にとってライヴは確実に力の源に成り得る。
それは観るやる関係ない。
掛け替えのない尊い空間なんだ。
もしこの時におとんがいなくなっていたら、来るべきじゃなかったと後悔しただろうか?
それはわからない。
確かだったのは、次の日俺はまたおとんと会えたと言うこと。
でも、痛み止めの作用で意識がかなり朦朧としてきていた。
居続けようかとまた迷った。
けど、音楽のことがあったから一度東京へ帰る選択をした。
その前に面会して、またすぐ来るからぁと言った後ありがとうありがとうと口から出た。
言い方不自然やったけど、どうしても言っておかなきゃならない一言だった。
目を瞑っていた、寝ていたのかな?
自己満足で構わない。
再び徳島へ行く予定にしていた朝、ねぇちゃんから死んじゃったと電話。
夜中に力尽きたと言う。
冷たくなったおとんは、優しい顔をしていた。
かつては恐れていたし、憎んでもいた。
触れながら俺は思い出した。
俺が幼子の頃はこんな表情だった。
いつからか険しい顔になった。
思うようにならない子供と対峙し、仕事の責任も抱えながら、悩みもがいたりもしていたんだろう。
よくぞ物事放り出さずに、真面目に生きぬいたもんだと、今の俺は感心するし尊敬もする。
晩年、頻繁に会うようになった頃からは会うほどに、朗らかな爺さんになってた、口うるささは変わらんかったけど。
おかんの分もまだまだ生きてくれ言うたのに。
追いかけて行くことないのに。
おかんきっと寂しくないよ。
寂しかったんは結局おとんか。
などと言うのは生きてるものの戯言。
ゆいいつの親孝行を果たせた。
随分と前に、親よりは早く死なないと誓ったんだ。
やがてこの物悲しさも薄らぐのだろう。
これを読み返したりして、あぁそうだった、あの時は一瞬途方に暮れたなと涙ぐみながらも微笑むのだろう。
でも、自分も折り返しをとうに過ぎ、ジリジリと死に近寄りながら、父母が消えてしまって感じるこの虚無は、これこそが自由なんだと気持ちを転換することはできるのだろうか。
くそっ、くそっ、くそっ、と声が漏れる。
何に腹をたてているんだろう... なんもしてあげなかった自分になのか、抗いようのない現実と言う厳しさになのか。
なんだか心が軋んでる、かと思えばすうすうしてる。
それでも歌えてること、ライヴがあり、聴いてくれる人がいて、その空間に気持ちを馳せてくれている人が確かにいる。
救われてる。
これはきっと時間が解決して、その内また力のある感情が心を動かす。
その魔法をこれまでにたくさん経験してきた。
俺はできると思う。
愛されていないと過ごした日々が、いつしか恥ずかしさに変わったように。
俺はできると思う。
幾つになってもここがはじまりだから。
俺はできると思う。
歌があるから、そして言葉があるから。
いや歌えなくなっても、詩を書けなくなっても、俺はできると思う。
流れた涙が温かく感じたから。
死は生きることだと教えてもらったから。
俺はできると思う。
焦らずにゆこう。
自由への扉は開いている。